人生を歩む上で、友という存在はとても大きいです。
友は血の繋がりのある家族ではない。しかし、時に家族以上の存在となります。

私の家から小学校までは、子供の足でも片道20分程度で通学できる距離でしたが、私の足では1時間半かかっていました。
少し歩いては休み、少し歩いてはこけていました。

この1時間半の道のりを、毎日一緒に歩いて帰ってくれた親友O氏がいます。

O氏とは、幼稚園からの友達で、ほとんど毎日一緒に遊んでいました。
何度も喧嘩をしたし、何度も絶交もしましたが、いつのまにか一緒に遊んでいました。

身体が自由に動ける頃は一緒に泥だらけになるまで遊び、身体が不自由になってからも、家でゲームをしたり、自転車で出掛けたり。
いつも側にいる事が当たり前のような存在でした。

中学の時、意地悪な同級生がO氏に向かってこう言いました。
「おまえ、なんでこんな奴とつるむんじゃ」
O氏はこう言っていました。
「こいつといると面白いんじゃ」

40歳で歩行障害を克服した時、まともに歩けるようになった姿をO氏に見せたくてたまりませんでした。
しかし、仕事で他県に住んでいるのでなかなか会うことが出来ません。

何年か経った頃、O氏が久しぶりに地元に里帰りすると聞いたので、O氏の家に行きました。
私は、まともに歩く姿を見せてビックリさせてやろうと思いました。

家の玄関を開けるとO氏がいました。
二、三、言葉を交わしながら、O氏の前で歩き、まともに歩く姿を見せたのですがいつまで経っても気づきません。
「なぁ、何か変わったことに気付かん?」
「なんやねん」
「いや、足が治ったんよ」
「え?」
まだ気付きません。私は、O氏の前で飛び跳ねました。
「ほんまや、どないしたん!」
O氏は笑いながら言いました。

「気付かんもんじゃなぁ」
私がこういうと、O氏はこう言いました。
「足が悪かろうと悪くなかろうと、おまえはおまえや」
この言葉に、思わず涙がでました。

O氏は、今までずっと私の不自由な身体を見ていなかったんだと思います。
ただただ、友達として普通に付き合っていただけ。
O氏は、私を助けるために一緒にいたのではなく、ただただ、友達だから一緒にいただけ。

私は、そんなO氏に沢山助けられました。

人は、人生のあらゆる場面に沢山の出会いがあり、その中から少しだけ、本当に信頼し合える仲間ができる。
それは、友達だったり、恋人だったり、仕事仲間だったり。

どんな関係でもいい、信頼できる仲間を作る事こそが楽しく歩く第一歩ではないかと思います。