退院して間もない頃が瀬川病発症のピークでした。

足首はつま先立ちのまま、両膝は自由に曲がらず、手は常に震え、肘が曲がったまま。
バランスが取れない為、歩くときはどこかを持って歩き、何も持つところが無い所では10m程歩いてはこけていました。

私の両親は普通にこだわり、学級も普通学級、通学も雨の日以外は自分で歩く、と徹底していました。
私の家から小学校までは500mほどあり、調子のよい朝は25分、帰りは1時間半かけて歩いて通学していました。

歩いては転倒を繰り返し、生傷が絶えない毎日で、歩くのが嫌で嫌でたまりませんでしたが、それを理由に学校を休むことはありませんでした。
ただただそういう性格だったのでしょうか、ずる休みをしようと考えるチャンネルが無かったように思います。

それともう一つ、「友という存在」がとても大きかった。

ただ、雨の日は車で送迎してもらえるので、雨が降らないかなぁと思っていました。

私自身、子を持つ親になった今になって思うのですが、私の親は毎日気が気ではなかったんじゃないかな。
車が往来する歩道のない狭い道路を、転倒しながら毎日通学する。事故に遭わないか、大けがをしないか、等々いろいろ思っていたと思います。

普通にこだわったことが結果的に良かったかどうか、今でもわかりません。あとで詳しく記述しますが、歪んだ姿勢で歩き続けることで、骨や関節は歪み、身体はぼろぼろになりました。しかし、根性は付いたと思います。