小学1年の頃から内股で歩くようになり、靴底の外側ばかりすり減っていました。
走るのも遅く、マラソン大会で最後尾を走っていたことを覚えています。
ただ、その他の問題は特にありませんでした。
外で遊ぶのが好きで、よく友達と虫取りやキックベースで遊んでいました。
手先が器用で、よくプラモデルを作っていたのを覚えています。
この頃、瀬川病の特徴である「日内変動」の症状はありませんでした。
内股で歩くという症状は、瀬川病の発病の始まりなのですが、昭和50年代の田舎者にとっては、これは単なる歩き癖として捉えられていました。
小学2年の夏休みに、大学病院に検査入院しました。それは、私の人生を大きく変える出来事でした。