小学2年の夏休み、内股で歩く原因を探るため大学病院に検査入院しました。
診療科は整形外科でした。
その頃に医者が注目していたのは、右足のアキレス腱が短いことによって右足首が曲がらない事で、手術によってアキレス腱を伸ばすことを検討していました。
ある日、脊髄検査を行いました。背骨から造影剤を注入し、CTスキャナで頭部から脊髄全体までを撮影して、神経が正常に通っているか調べる検査です。
結果は異常なしとの事でしたが、数日後に頭部のレントゲン写真を撮ったところ、頭頂部に造影剤が溜まっていました。
その頃からです、足の動きが悪くなったのは。
右のふくらはぎに常に力が入り、右足だけつま先立ちで歩くようになりました。
若い先生にそのことを伝えると「たまにあるんです・・・」と言い、年配の主治医に伝えると「そんなことは絶対にない」と言い放ちました。
この食い違う大人の応えが今でも忘れられません。
今の私なら「これは医療ミスではないか」と言います。
しかし、昭和50年代という時代、医者は神様でした。私の親はその出来事をそのまま受け入れ、それ以上その医者に何も言う事はありませんでした。
私の身体は日に日に動きにくくなりました。両足のふくらはぎは常に力が入り、つま先立ちでしか立てなくなり、膝も曲がりにくく、足を引きずりながら歩いていました。
バランスもとれなくなり10歩進んでは転倒していました。次第に腕にも異常が現れ、両手は常に握りしめ、左腕の肘が曲がったままになりました。
ただ、午前中だけは、どういう訳か転倒もせずスタスタと歩いていました。
後で分かったのですが、これは「日内変動」という、瀬川病特有の症状でした。
私は子供ながらに、朝と昼以降の状態の変化を調べれば足が治るのではないかと思っていました。
しかし、このことを医者に伝えても、「朝に調子が良いのは疲れていないからでしょう」と、特に気に留めることはありませんでした。
入院中は何度もCTを撮られ、毎日ブドウ糖の点滴を受けました。
毎日の点滴により、針を刺す腕は紫色に腫れあがり、血管が細くなったので針が通らず、看護師に何度も何度も針を刺されました。
今の私ならこう問います。
「これは何のための点滴か」と。
しかし、子供だった私はなすがまま抗うこともできず、隣にいた母は医者のすることをそのまま受け入れていました。
結局、小学2年の夏休みの1ヶ月間の検査入院で得られたものは何もなく、退院する時には入院する時よりはるかに身体がボロボロになりました。
対処療法として、つま先立ちにしかならない両足首を無理やり曲げる矯正靴を履かされました。
矯正靴はとても痛かったのを覚えています。
「医者にやられた」
私は医者が嫌いになりました。
そして、父を恨み、母を恨みました。
次第に恨みの矛先は優しかった母に向いて行き、「なんで入院させたんな」と、怒鳴っていました。
母は無言でした。
私は、身体が不自由になった原因を、医者と両親のせいにしました。